インド政府は、国内外の紛争の解決手段として、国際仲裁を積極的に推進し、国際仲裁に適した環境作りのための法律を整備するなど改革を進めています。しかし、インドの裁判所は国際仲裁で示された仲裁判断に介入する傾向があり、この裁判所の姿勢がインドでの国際仲裁の信頼を毀損し、その発展を妨げています[i]。
インド政府は、紛争の迅速かつ適切な解決を実現するために、シンガポールやロンドンにおける国際仲裁に匹敵する制度の構築を目指しています[ii]。1996年にインドで制定された仲裁調停法は、世界的に認められた基準であるUNCITRALモデル法を踏襲しています。すなわち、仲裁判断の承認と執行、裁判所による仮処分などの暫定的措置、仲裁人の独立性と公平性などの規定を含み、手続に予測可能性を持たせ、かつ効率的に紛争を解決することを目的としています[iii]。これにより、ビジネス環境を整え、世界的な貿易国として、インドがより名を馳せることが期待されていました。
しかし、この先進的な取り組みには、伝統的な勢力が立ちはだかっています。インドの裁判所は、仲裁手続の様々な段階で介入する傾向があります。それにより、手続の大幅な遅延やコスト増加の問題が生じ、紛争解決までの見通しの不確実性をもたらしています。
裁判所が仲裁判断に介入した事案として、デリー・メトロ鉄道公社(DMRC)とデリー・エアポート・メトロ・エクスプレス・プライベート・リミテッド(DAMEPL)との間のデリー空港メトロエクスプレスラインの建設、運営、維持管理に関するコンセッション契約の履行を巡る裁判があります。仲裁廷は、2017年5月、デリーメトロ公社(DMRC)にデリー・エアポート・メトロ・エクスプレス株式会社(DAMEPL)への768億7,000万ルピー(約9億1,700万米ドル)の賠償を命じましたが、最高裁判所は2024年、この仲裁判断を無効とし、仲裁判断に介入しました。
この結論に至るまでに、第一審、控訴審、上告審が開かれ、裁判所の判断は仲裁判断と同じものに落ち着くように見えましたが、最高裁判所は、仲裁判断に「重大な誤審」があるとして、憲法第142条に基づく再審を認めました [iv]。同条に基づく再審が認められることは稀で、裁判所の積極的な姿勢が表れているといえます。結局、裁判所で結論が出るまでに約7年もの歳月を要しました。
別の事案では、最高裁判所が、仲裁合意の効力について厳格な判断を下しました。仲裁合意とは、紛争を各国の裁判所ではなく、仲裁で解決するものとする当事者の合意をいい、当該合意がなければ仲裁手続を利用できないとされているものです。仲裁合意は、原則として書面で行う必要があり、通常、取引契約書の契約条項として記載されます。この点、インド最高裁判所は、仲裁合意がされた書面に印紙が貼られていない場合、当該仲裁合意は「法律上存在しない」として、仲裁合意を実現するにあたっては、まず裁判所において印紙の問題を解決しなければならないとの判断を下しました[v]。これにより、印紙要件を遵守していないことが、進行中の仲裁手続を遅延させるための口実に使われ、裁判所に異議申立てがされることで手続の複雑化及び長期化を引き起こすことが問題になっています。この判断は、インド法の理解に乏しい外国人投資家に大きな影響を与えており、インドにおける国際仲裁の推進と国際紛争解決のハブとなるいう目的を損なわせています。
国際仲裁のメリットは、紛争にまつわる分野に精通した仲裁人を選任し、当該仲裁人がその専門性を発揮して適切な解決を図ることができるという点にあります。それにも関わらず、インド裁判所は、担当裁判官が専門性を有するか否かに関わらず、仲裁判断の専門的判断についても介入しています。
このような裁判所の積極主義は、まさに仲裁の根幹である仲裁判断の最終性を損なうものです。インド裁判所が仲裁判断に積極的に介入することにより、インドの仲裁制度に対する信頼は損なわれ、海外からの投資の妨げになります。それだけでなく、裁判所の公平性やその役割にも疑問が投げかけられています。 投資家や国際企業は、インドでの仲裁は予測不可能でリスクの高いものであると受け取り、シンガポールやロンドンなどのより安定した仲裁地を求め、仲裁のグローバルリーダーを目指すインドの試みは実現されないままとなってしまうでしょう。
最後に、仲裁に要する費用に関する問題について指摘しておかなければなりません。インド国内の仲裁機関は、他の国際的な仲裁機関よりも費用が安価であるというメリットがありますが、仲裁人手数料、管理費および弁護士費用については標準化された手数料体系は確立されていません。経験豊富な仲裁人を選任する場合、費用が高額になる傾向にあります。また、仲裁手続の遅延は、仲裁費用を増大させ、費用の見通しも困難になります。その一方で、シンガポールで法制化され活発に利用されている第三者による資金提供(国際仲裁の費用を第三者が提供する仕組み)に関する明確な法律はありません。
インドがグローバルな仲裁ハブとして台頭するためには、これらの課題をひとつひとつ解決する必要があります。これには、裁判所の介入を減らすための法的枠組みの構築だけでなく、仲裁費用の標準化や第三者による資金提供など、国際仲裁に関するベストプラクティスを実現する必要があります。
国際仲裁におけるインドの歩みは、大きな可能性を秘めていますが、裁判所の介入という深刻な問題が影を投げかけています。この問題が解決されない限り、真の仲裁ハブになるというインドの夢は、砂上の楼閣のままかもしれません。
[i]Report of the High-Level Committee to review the Institutionalization of Arbitration Mechanism in India (2017).
[ii] Indivjal Dhasmana, ‘PM for making India global arbitration hub’ Business Standard (New Delhi, October 2016).
[iii] Anonymous, ‘Reform of the Indian Arbitration and Conciliation Act’ 1/2016 <https://www.nortonrosefulbright.com/en/knowledge/publications/5b8ffbc0/reform-of-the-indian-arbitration-and-conciliation-act> accessed 24 July 2024.
[iv] Anonymous, ‘Indian Supreme Court Sets Aside Arbitral Award for "Grave Miscarriage of Justice’ 5/2024 <https://www.jonesday.com/en/insights/2024/05/indian-supreme-court-sets-aside-arbitral-award-for-grave-miscarriage-of-justice> accessed 24 July 2024.
[v] In Re: Interplay between Arbitration Agreements under the Arbitration and Conciliation Act 1996 and the Indian Stamp Act 1899 (2023) 2023 INSC 1066 (Supreme Court of India).
執筆者:インド法弁護士 アシュウィン グプタ